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安曇幹線 — えぼし型鉄塔、山なみを越えて

新信濃変電所から新秩父開閉所へ、信州の揚水電力を運ぶ500kV×2ルート

梓川・高瀬川の揚水発電群と首都圏を結ぶ500kV・安曇幹線を、新信濃変電所から 新秩父開閉所まで約113kmたどる路線ツアー第2弾。国内唯一の1回線水平配列×2ルート、 えぼし型鉄塔の列が標高1,600mの山なみを越えていきます。

新信濃変電所(長野県朝日村)

旅の起点は松本盆地の南西のへり、朝日村の新信濃変電所です。 50Hzと60Hzの境目に立つ周波数変換所を併設し、1977年と1992年に30万kWずつ、 計60万kWの変換能力で東西の電力融通を担ってきました (2021年には飛騨と結ぶ直流連系設備も加わっています)。 面白いのは、安曇幹線がこの変電所より年上だということ。1969年に開通した線が先にここを通り、 8年後の1977年に変電所が完成して、あらためて起点になりました。 梓川・高瀬川の発電所群から届いた電力はここで50万ボルトに昇圧され、東へ — 約113kmの山越えが始まります。

梓川と高瀬川 — 「水の蓄電池」の送り出し口

この線が生まれた理由は、西の山の中にあります。1969年、梓川に安曇発電所(62.3万kW)と 水殿発電所(24.5万kW)が誕生。ダムを上池と下池に使い、昼は水を落として発電し、 夜は余った電力で水をくみ上げる揚水発電所です。安曇幹線の第1ルートは、 この電力を関東へ運ぶため同じ1969年に運用を開始しました。1979年には高瀬川の地下に 新高瀬川発電所(128万kW)が加わり、3か所あわせて昼間最大210万kW。 夜はこの線を逆向きに電気が流れ、明日の発電用水を山の上へ戻します。 ちなみに、梓川の電気を関東へ送るのは大正以来の伝統 — 1923年には竜島発電所から 横浜方面へ、日本初の154kV送電線「京浜線」(約200km)が動き出していました。

塩尻峠 — えぼし型の列、山へ

塩尻峠のあたりから、線は本格的な山越えにかかります。ここからの主役は、 電線を横一列に並べたえぼし型(烏帽子型)鉄塔。日本の標準形とはまるで違う シルエットの列が、最高約1,600m・平均約860mの高標高地帯を進みます。 起点から終点まで1回線水平配列×2ルートで貫く500kV送電線は、国内でこの安曇幹線だけ。 なぜこの形が必要だったのかは下のコラムに譲って、旅はこのまま峠を越えます。

コラム

えぼし型鉄塔はなぜ横一列か

日本の送電鉄塔で一般的なのは、上下3段の腕に電線を振り分けて左右に2回線を載せる形。 対してえぼし型は1回線ぶん3本の電線を横一列に並べる「水平配列」で、 烏帽子をかぶったようなシルエットからこの名が付きました。よく見ると、塔の中央が 大きな「窓」のように抜けています。両はしの相は左右の腕に吊るせますが、 真ん中の相はどこかに吊らなければならない — そこで塔体を二股に分かち、 その間の空間に中央の電線を吊っているのです。500kVでは電線と鉄骨の間に 大きな絶縁距離が必要なため、窓は見上げるほどの大きさになります。 あの穴は、真ん中の電線の指定席というわけです。

なぜこの形が必要なのか。鍵は着氷雪です。湿った雪が電線に筒状に付き、 それが一斉に脱落すると、荷を下ろした電線は反動で大きく跳ね上がります (スリートジャンプ)。氷で断面が翼形になった電線が風を受けてゆっくり大きく波打つ ギャロッピングも起きます。電線を上下に積む一般的な配列では、跳ね上がった下の相が 上の相に接近して相間短絡 — 基幹500kVの送電停止 — につながりかねません。 対策の基本は、電線の真上に電線を置かないこと。上下配列では腕の長さを段ごとに変える オフセットで電線をずらしますが、えぼし型の水平配列はそもそも電線を上下に 重ねないことで、この課題を構造から解消した耐氷雪形です。3本の電線がどれだけ跳ねても 相間の距離は保たれ、鉄塔の背が低いぶん、稜線で受ける風や着氷の荷重も抑えられると 考えられます。

雪が送電を襲うのは、机上の話ではありません。着氷雪は電線の張力を通常の数倍にも 引き上げ、短絡どころか鉄塔そのものを倒すことがあります。1986年3月の関東の大雪では、 強風と着雪で神奈川県内の送電鉄塔6基が倒壊し、最長50時間を超える停電が約300万人に 影響しました。1998年のカナダ・ケベックを襲った氷嵐では、鉄塔約130基と3万本超の 電柱が倒れ、400万人以上が真冬に電気を失っています。基幹送電線の耐氷雪設計は、 こうした教訓の上にあります。

もちろん代償はあります。1基に1回線しか載らないため、2回線を送るにはルートごと2本 建てるしかない。1基あたりは背が低く軽くて済むものの、基礎や組立の工事は2ルート分になり、 鉄塔敷と線下用地も倍近く必要 — 建設費と土地、二重の負担です。土地の限られた日本で 標準になれなかったのはこのためです。それでも「豪雪の峠で基幹系統を止めない」という 一点で、この費用のかかる形式が選ばれました。

では、雪深い地域はほかにもあるのに、なぜ「全線えぼし型」は安曇幹線だけなのか。 部分的な烏帽子型の区間なら各地の豪雪山地にあります。しかし安曇幹線のルートは 平均標高約860m・最高約1,600m — 基幹送電線としては例外的な高さを100km以上走り続けるため、 着氷雪への備えが全線で必要でした。実は欧米では用地に余裕があるため水平配列は ごく一般的な形式で、土地の制約からやむなく縦に積んでいるのは日本の事情です。 その後は縦配列でも着氷雪をしのぐ対策 — 腕金の長さをずらすオフセット、難着雪リング、 相間スペーサなど — が整っていき、土地を食う水平配列をあえて全線に選ぶ理由は薄れました。 安曇幹線は、対策技術が出揃う前の1969年に、山岳越えの大送電という課題へ正面から 答えた線なのです。

ちなみにえぼし型、2本の「耳」が猫に見えることからファンには 「ネコ鉄塔」と呼ばれる人気者で、送配電事業者の配る鉄塔カードやカプセルトイの ミニチュア、ペーパークラフトの題材にもなっています。富山では電気工事会社から、 烏帽子型をモチーフにしたゆるキャラ 鉄塔鉄美(5人組アイドル、デビューは10月10日 「鉄塔の日」)まで生まれました。業界にも愛される、新しく建つことはまれな形式 — 現役の列をこれだけ長く追える安曇幹線は、それだけで貴重です。

和田峠・長和町 — 高所の稜線と、入れ替わる2本

中山道の難所として知られる和田峠の一帯は、経路でも指折りの高所です。 山岳の長い径間では鉄塔から鉄塔まで750mを超える箇所もあり、強度の高い電線が使われています。 そしてここ長和町では、面白いことが起きています。1981年に南側の第2ルートを建設した際、 町内の約9kmだけは既設の線を第2ルートに譲り、第1ルート用の線を北側に新しく建てたのです。 地図では同じ顔をして並ぶ2本の線も、区間によって新旧が入れ替わっている — 送電線の歴史は、こういう細部に隠れています。

佐久から県境の山へ — つかず離れずの2ルート

高原を下って佐久へ。このあたりでは、2本の線が5〜6kmも離れて走る区間があります。 基本は寄り添って並走する計画でしたが、地形や土地の事情で離れざるを得なかった場所です。 1回線ずつ別ルートに分かれているおかげで、片方に何かあっても、 もう片方で送り続けられる安心にもつながる形です。 線はやがて佐久穂から相木の谷へ入り、ぶどう峠・十石峠のあたりで群馬県上野村へ。 神流川の源流域を抜け、両神山の北側の山なみを縫って、埼玉へと入っていきます。

新秩父開閉所(埼玉県小鹿野町) — 15年がかりの終幕

秩父の山あい、小鹿野町の新秩父開閉所がこの旅の終点です。 実は、1969年開通時の第1ルートはここを素通りして、安曇発電所から新所沢(鶴ヶ島市)まで 168kmを一気に走っていました。1982年、第2ルートに続いて第1ルートも この開閉所へ引き込まれて50万ボルトに昇圧され、1967年の着工から15年がかりの大工事が完結。 切り離された新秩父〜新所沢間の約37kmは遊休設備になりました。 信州から届いた電力はここで新秩父線新岡部線新榛名線に振り分けられ、 500kV外輪系統へ注がれます。環のしくみは見どころ 新秩父開閉所と500kV外輪系統で。 そして安曇幹線が最初に目指したゴール・新所沢変電所へは、ツアー第1弾 新所沢線 — 外輪系統・西の弧をゆく で旅の続きをどうぞ。

参考資料